あれから1週間。
コレを書くのもとても、とてもキツかったんです。
2,3行書いては手の震えが止まらなくなってしまいます。
とてもとてもツラいんです。
でも1週間も放置だとお客さまも不安だと想いますのでかなり支離滅裂だとは
感じますが現況の報告はさせて下さい。
とても多くのお客さま、お気遣いありがとうございます。
本当にありがとうございます。
ただただ感謝しかありません。
通常状態を100として1週間前に実際に現実を確認した時を0としてみます。
まだ状態は20から30くらいです。
精神的にも肉体的にも20から30です。
先週いっぱいはモノが全く食べられませんでした。
このままでは自分もまいってしまうと感じてムリクリ食べてはみるもののすぐに
戻してしまいした。
震えも止まらないし、脂汗もダクダクでてくるんです。
昨日くらいからやっとヨーグルトとサプリメントのビタミン剤が喉を通るように
なりました。
口内炎できまくりです。
今までに経験をしたことが無いような胃痛です。
ちょっと大げさじゃ無い? って感じる人もいるとは想います。
どうしてそんなことになっちゃってるのか?
を、少し語らせて下さい。
父が他界した時には全くこんな感情はありませんでした。
昼くらいに判明したのに夜にはもう焼き肉を喰っていたように記憶しています。
今回は父の時と全く違った感情です。
母は自分と弟のために全てを捧げてきた絵に描いたような昭和の苦労人でした。
それに対して父は自分をいつも最優先してきた昭和ひと桁の男でした。
今では考えられないですが父は家族を犠牲にしてでも自分がやりたいことをやる
それをオマエたちは我慢するのも当然だ、そんなカンジでした。
特にギャンブルがヒドかったです。
家計から大金を持ち出してギャンブルにつぎ込むから家計はいつも火のクルマ。
当時は離婚なんてまずできなかった時代です。
ロクに食べるモノが無くて自分とまだ赤子の弟を抱きかかえて一晩中泣き明かした
そんなことが何回もあったのを今でも憶えています。
そんな時でも父は自分だけたらふく喰って泥酔して帰ってきました。
会社の付き合いだからしょうがないっていつも言っていたのを憶えています。
こののままじゃマズいと母は考えたんでしょうね。
一念発起して仕事をすることにしました。
今と時代が全く違います
パートなんて無かった時代ですしそもそも女性に仕事なんてほとんど無い時代。
で、知り合いを頼って着物、和服を仕立てる職人になりました。
それからは当に馬車馬のように働いていました。
夜が明ける前から夜遅く10時11時まで毎日毎日ひたすら働いていました。
もちろん家事も一人ですべてこなしていました。
父が家事を手伝っているのを1回も見たことが無い。
今考えてみるとよくカラダ壊さなかったですね。
そんな母のおかげで家計にも余裕が出てきましたし自分も弟も大学に行かせて
もらって私は留学もさせてもらいました。
今こうやって思い返してみるといったいいくら稼いできたんだろう?
それを全額、私と弟に注ぎ込んできたんです。
若い時ってそのありがたみに気が付くことができませんでした
契機は自分の一人目の嫁が自分を捨ててあっさり出て行った時でした。
自分の人生だから って言葉を残していともあっさり出て行きました。
夫婦二人の自分たちの人生だと想っていた自分とは違って自分の人生だから
って言われた時には怒りも寂しさも全く感情が湧いてきませんでした。
その時に初めて気が付いたんですね。
自分のためだけに生きてきた父や嫁と違って母はいかに息子のためだけに
生きてきたのか・・・・・・
ソコから想いました。
恩返しをしよう、親孝行をしよう
とりあえずナニが欲しい? ナニがしたい? って聞いてみると旅行がしたい
って返ってきました。
それまでにそんなこと一言も聞いたことが無かった。
いかに自分がしたいことを押し殺して我慢してきた人生だったのか?
当時は私もヨーロッパに年に4、5回行っていたのでそれに合わせて母の
航空券の手配をして母の一人旅は始まりました。
北は稚内、知床から南は確か? 沖永良部島まで一人で行っていました。
日本全国津々浦々いろんなところに行っていました。
海外にも一人で行っていました。
50、60回じゃきかないような気がします。
そんなある日、一人じゃツマん無いからオマエの海外出張に付いて行きたいって
言い出しました。
やはりなんだかんだでおカネがかかるので毎回はムリですけど母が行きたいって
ところに連れて行きました。
ロンドン2回、パリ3回、フランクフルト1回、ローマ1回、ウィーン3回、
シドニー2回、オークランド1回、メルボルン1回。
今の仕事を始める前の仕事だったのでおカネあったんですね。
ヨーロッパは全部ファーストクラスです
オーストラリア、ニュージーランドはファーストクラスが無いのでビジネス。
国際線のファーストクラスは国内線のファーストとは全く比較になりません。
さぞかし喜んでくれるのかと想ったらそんなにおカネを使わせて申し訳ない
ってず~~~~~っと言っていましたがそれはそれで楽しんでくれたんだと
想っています。
次にはベネチアに行きたいとかドナウ川に行きたいとか言っていましたが
もうさすがに海外はムリなんじゃ無いかって感じて国内旅行を切り出すと
母は、それなら温泉に行きたいとのこと。
ちょうど10年くらい前のハナシです。
それから実にたくさんの温泉に行きました。
今年だけでも4回連れて行きました。
知床のウトロ温泉、茨城県大洗のいそざき温泉 伊豆の土肥温泉、鬼怒川温泉。
たっぷり親孝行はしてきましたが母の苦労を考えるとまだまだ足りない。
来年も2月15日に大事なイベントがあるのでその次の週に温泉に連れて行く
予定も決めていました。
それなのに・・・・
事故死でした
風呂の浴槽の中で冷たくなっていました。
天寿を全うしたならまだしも風呂で事故死。
そのショックたるや・・・・
遺品の整理をしているとひとつひとつ思い出してきてとてもとてもツラいんです。
でも、イイ齢こいていつまでもこんな状態ではお待ち下さる多くのお客さまに
ご迷惑をおかけしてしまいます。
前に進みます。
ずっと凹んだままだと母だって悲しむと想います。
来年こそは
って強い気持ちを持って前に進みます。
でも、もうちょっと時間を下さい。